ストーリーテリングとロールプレイに関する悩み

自分の中でストーリーテリングゲームにいまいちついていけない理由が一つあり、その理由がこれまた笑える内容なので、書いておこう。誰かの参考にはなるかも。
ストーリーテリングゲームはストーリーを作るゲームであり、そのためにキャラクターを動かす。目的のストーリーのためなら少々無茶な行動だってどんどんキャラクターにさせる。ロケ日数と予算と期日が決まってるから続き物の脚本書けと言われた作家のようにかなり強引気味に書く。なんのことは無い。スリリングなシーンとお涙頂戴の感動シーンさえ書いてりゃ、観衆はどんなストーリーだって喜ぶ。ストーリーのテンプレートからあまり外さなければ、大抵の無茶はお約束で許してくれる。まぁそんな感じでストーリーを作っていく。
ロールプレイは、キャラクターにとって自然と思えることを演じる。設定とその場の状況から考えて適当と思われる行動を取る。ここがすれ違いの発生のしどころだ。
ストーリー生成に必要な行動は、ロールプレイの障害となることが多い。もちろん、そこをこじつけてなんとかしてしまうのがうまい脚本家の仕事であり、うまい俳優の仕事ではある。ただし、やっぱりなんか釈然としないものが残ったりする。
ロールプレイの時に注意が必要なのは、「自分のロールプレイ」をしていないか、ということだ。状況に照らし合わせて行動しようとする時、自分の取る行動パターンを踏襲していないだろうか? 例えば、女性不審の俺が見ず知らずの女性に街中で声をかけられた時の反応と、出会いがなくて出会いに飢えている、性格が優しく人のいいドラマの中の主人公と取る態度は違うのだ。そして、皆が求めているのは、間違いなく後者である。
しかし、それで本当に楽しいのかは別の話。キャラクターとして味が出て、かつ周囲にも受け入れられる良いキャラクター像を瞬時に生み出すのは結構、骨だ。だから、受け入れられやすいステロタイプなキャラクター像をインプットしておくか、受け入れられやすい脚本像をインプットしておいて、それにあわせて行動を取るかどちらかが必要とされる。