ハンドアウト論争

いやまぁ、アホかお前らと言いたいような話ですが。
ハンドアウトは有害だ、とか
ハンドアウトがあるとゲームが崩壊する
とかいう人のアレですな。

ハンドアウトがあるべきシナリオは構築型シナリオ

 GMは何をしたいのでしょうか? PLは何をしたいのでしょうか?
 GMは、決められた設定の下で決められた設定のキャラクターが生み出す冒険の演出がしたいのでしょうか? それならば、ハンドアウトを用いるべきです。
 GMが事前に構築したストーリーラインに沿ってPC達が行動を決定していくシナリオでは、多くGMが演出したい状況は確定されており、その状況に適したキャラクターも決まっています。つまり、GMが監督である劇を、プレイヤーは役者として演出するのです。台本はない劇です。役柄設定がなければ、まず、監督の思ったとおりの絵は撮れません。
 尚、俗に言う「即興型GM(この言葉消えたなー)」の1タイプとして、適当にキャラクターを作ってもらったうえで、PLとGMの間で演出したい状況を決め、役柄設定を落とし込んでいくタイプのGMもおられます。

ハンドアウトがあって困るシナリオは?

 では、ハンドアウトが存在していることが、何かの制限になるようなシナリオというのは存在するのでしょうか?

 実際には、ない、というのが正解です。しかし、ハンドアウトをつけてはいけない場合というのが存在することは確かです。

 それは、ハンドアウトの用法を誤ったGMと、ハンドアウトに特別な意味づけをしてしまうプレイヤーのコンビネーションが揃った場合です。
 ハンドアウトとは、単純に、GMから渡される、文字化された各PCへの付加設定に過ぎないわけです(キャラクター作成レギュレーションという味方も出来ますが)。ところが、プレイヤーの中には、
 「GMから許可された設定なのだから、この制限の中なら何をやっても許される」
 と考える人がいます。これは問題です。
 また、
 「ハンドアウトなんだから、なんか設定つけんとまずいよなぁ」
 と、個々それぞれに、シナリオ上期待したい役柄、自分が構築したい流れに的確に沿ってないハンドアウトを渡してしまうGMもまた問題です。
 ハンドアウトなんて、各キャラクターに必要な方向性を示したプレイ前指示に過ぎないのです。

ハンドアウトって何さ。

 で、よく嫌ハンドアウト流の人が、D&Dとかのゲームではハンドアウトはいらない、と豪語していますが、GMから伝えておいた方がいいキャラクターの形成に関する情報、及び期待するセッションの流れに関する示唆などを事前に渡すのが「ハンドアウト」ですから、こいつは必要な時は必要です。
 例えば、こんなハンドアウト

キャラクター・テンプレート:戦士
 君のキャラクターは戦闘能力を極限まで高めた、まさに戦士の中の戦士だ。君はゲーム中、襲い来る危険からパーティーを守り、強力なモンスターの攻撃から仲間を守る義務がある。そうすることが君が出来るパーティーへの貢献だ。そうしてパーティーに貢献することで、君はパーティーからその貢献分の報酬を受け取ることが出来る。
 君はパーティーの仲間を信頼し、また、信頼されるように行動すべきだ。それが「仕事」というものだからだ。

さて、このハンドアウトを見たプレイヤーは、ゲーム中やるべきことを理解します。もっと詳しく状況別に対応を書いてもいいでしょう。この手の説明文は「D&Dがよく分かる本」や「ソードワールドRPGスタートブック」にいい感じで載っています。

では、次のダブルクロスハンドアウトはどうでしょうか。

炎の子ら:サラマンダー・オルクス ロイス:高峰順子
 君はUGN支部から派遣されたUGNチルドレンの一人だ。この大崎町で、ファルスハーツの命令を受けて動いている一人のエージェントを倒す任務を受けている。しかし問題は…その高峰が、かつて自分の恋人であったということだ。
 あなたはこの任務に自分から志願した。もう彼女が、過ちを犯さないように。もう誰も傷つけないように。

 このハンドアウトを見た人も、上のハンドアウトを見た人と同様に、ゲーム中やるべきことを理解します。与えられた情報の質が違うと仰る方は、もともとゲームの質が違うのだということを思い出してください(→3つのゲーム)…D&Dは質の高いストーリーゲームとして遊ぶことも出来ますが、基本的にはシミュレーション・ゲームです。そして、 ダブルクロスは、質の高いシミュレーション・ゲームとして遊ぶことも出来ますが、基本的にはストーリー・ゲームです(その違いがどこから生じるのか? これについてはまた別の機会に語りましょうか。)

間違ったハンドアウトの付け方。

 多分、問題にされている方は、D&Dにこのようなハンドアウトをつけることを想定しているのではないでしょうか。
 
追憶の騎士
 君はスターゲイザーから派遣された星の騎士の一人だ。このグレイホーク市で、オルクスのカルトの命令を受けて動いている一人のエージェントを倒す任務を受けている。しかし問題は…そのエージェントが、かつて自分の恋人であったということだ。
 あなたはこの任務に自分から志願した。もう彼女が、過ちを犯さないように。もう誰も傷つけないように。

 このような設定を上手く使いこなすのは至難です。なぜなら、D&Dにはストーリー支援システムがついておらず、キャラクターが単独でこの目的を遂行できるようになっていないからです(恐らく、これらの目標をもって、キャンペーンの中で少しずつ彼女と関わっていくことになるでしょう。)
 反対に、ダブルクロスハンドアウトをつけずに挑むのも至難の業です。なぜなら、ダブルクロスのキャラクターはD&Dのキャラクターと違って共通の目的や目標で落とし込まれて絞られていないがために、どのようなキャラクターでどのようにストーリーを作っていけばいいのかわからないからです。これを自前で考え出して、かつGMのストーリーにあわせていけるプレイヤーは相当うまい人だと思います。

とまぁこんな感じで、論点がすれてるんじゃねーかなぁとグタグダ考えてました。

シナリオそのものがギミック

 ギミックという表現が独特なので自分的解釈をすると、シナリオにプレイヤーを面白がらせるための大掛かりな仕掛けは必要だろうか、ということになりますが。
 シナリオそのものがプレイヤーを面白がらせる仕掛けになる、というのは、古典的シナリオパターンだと思います。これは状況解決のゲームに分類されるのではなかろうか。ただし、演出のゲームでも、GMがプレイヤーを追い込むために仕掛けを仕組むことはあります。ありますが、演出のゲームに特化する場合、これもまた王道パターン(PCは大いに驚いているかもしれないが、プレイヤーは「あーよくあるよくある」で済ますような感じ)にした方が、演出が面白くて燃えるんじゃないかと思いますが。
 昔作ったとっても痛いダブクロのシナリオ「抹殺」から引いてみます。
 PC達は自分達が実験都市で実験をさせられているモルモットだということに気づく。真の自由、真の意思を求め、「管理者」達を打ち倒し、都市を離れたPC達は荒野の大地に去っていく。
 それ何てマトリックス?と質問の飛んできそうなシナリオではありますが、プレイヤーからはこういったものの方が受けが良かったりします。なんでかというと、プレイヤーは「ああどうせそんな話だと思ったよ。これだから最近の脳みその貧相なストーリーメーカーは困るね。まぁせっかくだから君の筋書きを格好よく演出してあげるよ」と思いっきり高みからGMを見下ろすことができるので非常に気持ちがいいからじゃないかと思ったり思わなかったり*1
 もうなんせ、昨今の状況では、悪役がヒロインをさらってヒーローが助けに行くところから、ヒロインが悪役に操られる、ヒロインが実は黒幕、ヒロインが悪役にぞっこんになって寝返る、ヒロインが悪役をかばう、ヒロインがヒーローを嘲笑する、とこの辺りまではごく普通の一般的パターンになっちゃってたりするので、よっぽど奇天烈なことやるか、周到に準備立てをしない限りセンス・オブ・ワンダーでPLを喜ばせるのは無理っぽくなってたりいます。なんつか。

*1:とはいえこんなシナリオはこれっきりにしましょう。それこそ一発芸ですからなぁ。

3つのゲーム

 GMとして、プレイヤー側のセッションへの取り組みを3つのモデルに切り分けて考えてみます。もちろん、これ以外のモデルも存在していることでしょう。

3つのゲームの提示

状況解決のゲーム

プレイヤーは、提示された状況を解決する。

演出のゲーム

プレイヤーは、提示された状況の解決方法を演出する。

状況提示のゲーム

プレイヤーは、キャラクターの遭遇する状況を新たに提示する。

 ここで用いた「ゲーム」という言葉はそれ自体含意的であることに注意してください。それは一種閉じられた遊戯であり、それと理解していない人には、耐え難いものです。

 ほとんどのセッションでは、プレイヤーのGMに対するセッションの取り組み行為は、これらの複合よりなっていると考えることができるでしょう。
 それぞれのゲームについて、もう少し深く踏み込んで考察してみます。

状況解決のゲーム

 プレイヤーは"何者か"に提示された状況を解決します。状況はキャラクターの外側にあることも(外部問題)、内側にあることも(内部問題)あります。また、状況はGMによって提示される場合、自らによって提示される場合、他プレイヤーによって提示される場合があります。
 プレイヤーは、キャラクターが取り得る可能性のある行動を選択し、これを解決しようと試みます。その思考の過程、取る手段の選択こそが面白さにつながります。
 一つ注意しなければならないのは、この状況は他のプレイヤーに提示されなければ、他のプレイヤーは介入することも、何らかの形で関わることもできないということです。関わることのできない状況とその解決は、他の関わることのできる状況解決、演出、状況提示と何らかの深い関連性をもってはじめて意味を持ちえます。

例示1 状況解決のゲーム 外部問題

 「キャラクターはインディアンの部族に伝わる伝説の秘宝を捜し求めている。これを見つけ出し、立ちふさがる様々な状況を解決するための手法を考え出さねばならない。」
 これはキャラクターの外部にある問題です。キャラクター同士がこの秘宝を求めるために、協力して冒険に当たるのは典型的な探索行の物語になります。対して、この秘宝を巡って利害が対立したり、あるいは婉曲にこの秘宝にまつわる物語を進行させるのも容易です。外部問題は基本的には他のプレイヤーやGMにとって介入しやすい問題です。
 この問題の解決には、「基本的な常識」と「問題解決に特化したゲーム知識」、「ルールに関する知識」が必要になります。

例示2 状況解決のゲーム 内部問題

 「キャラクターは、自分の親友を見殺しにしてしまい、罪悪感から来る悪夢に未だ悩まされ続けている。」
 これはキャラクターの内部にある問題です。キャラクターの内部に封印された状況であるため、キャラクターがそれを表面化させないとを決定すれば(「演出」の項目を参照して下さい)、いつまでも状況は解決しません。従って、状況を抱えるキャラクターの主体的な解決への努力が必須になります(勿論、これはどの条件では同じですが、キーパーソンが一人に絞られるのです)。
 キャラクターは果たして本当に問題を抱えているのか? 実際には、本当に問題を抱えているのかどうかは演出によってしか示されないのです。GMや周りのプレイヤーが「君は問題を抱えている」と決めたところで、本人が演出しないなら、周囲の人にとって、そのキャラクターが問題を抱えていることにはなりません。
 この問題の解決には、「基本的な常識」のみが必要になります。それ故にどのようなゲームにおいても取り組むことが出来ます。ただし、このような内部問題に取り組むことをルール的に補佐するシステムでは、ルールに対する知識が必要不可欠になります。

演出のゲーム

 プレイヤーは状況の解決を演出します。演出に力点を入れる場合、多くの場合、状況の解決方法は既に提示されており、ストーリーは確定されています。よって、ストーリーがずれて話がしっちゃかめっちゃかになる心配をしなくていい「安全な方法」です。この論法は「プレイヤーは状況の解決をしたいのではなく、状況の解決をするフリをしたいのだ」と考える方法であるため、一部反発を招くことがあるようです。しかしある意味真実であることは否定できません。
 演出のゲームにおいて、プレイヤーは既に確定された状況の解決への演出をいかに美しく行うかが問われます。そのため、この手法では「演出の知識」を問われます。
 演出を行う場合、演出が周囲の人物に理解される必要があります。そのため、演出だけで美しいと思えるような、場に合致した、洗練された演出表現を考える(あるいは借用する)か、あるいは「場」そのものに連結したお約束的な演出を行う、というのが効果的な方法です。
 お約束的な演出を行う場合は、演出を受ける相手側にも相応の知識が必要になります。その演出に違和感を覚えてはならない、という前提条件がつくためです。そのため、ある特定の演出をスムーズに行うために、あらかじめ趣味を共通させておく(参考作品などを提示しておく)という方法が見られます。

状況提示のゲーム

 多くのゲームは上記二つの路線に沿って行われますが、プレイヤーは状況提示のゲームを常に平行で行っていくことができます。つまり、GMによって、あるいはプレイヤー同士の共通認識によって、規定されている現在の状況より更に面白い状況を提示するという手法です。
 演出表現の手法が過剰化すると状況提示のゲームになります。総ゲームマスター状態と呼ばれる状態がこれで、より面白い状況を提示し、その解決方法が提示され、演出され、その演出に着想を得て更にブレイクスルーをもたらす状況が提示され…とストーリーの(少なくともその場での)体感的な面白さが飛躍的に高まっていく手法です。
 ですが、このゲームに失敗すると、ストーリーラインのないめちゃくちゃなセッションが出来上がります。そのため、推奨できる方法ではないと言えましょう。
 GMの規定する状況にランダムで大きな変更を付与するタイプのシステムを持つRPGはこの操作を意図しているのではないかと思われます(例えばシーン・カード制)。


 このような切り口でゲームを切り分けることにより、どのようなゲームを目指してどのように運営していけばいいのか、考えることが可能になります。

お知らせとお断り

親ダイアリのうちTRPGの論考や記録などをこちらに書くことにしました。スタンスなどはサイドバーから確認してください。
尚、以前の記事は身内向けの記事でしたので、削除しています。身内の方にはご迷惑をかけますが、当該記事内容には既に目を通していただいているものと考えています。ご了承ください(2006.1.20.1240更新)