炎の奉献

サンドポイントでは主神デスナの祭りが行われていた。
サンドポイントは5年前の悲劇から立ち直るところだった。不審火により万神殿が焼け落ち、連続殺人に人々が震え上がった傷は癒えつつあった。
祭りの盛り上がりも最高潮に達し、万神殿の御披露目が行われようというとき、町中に悲鳴が響き渡る。
町中に潜んでいたゴブリン達が一斉に暴れ出したのだ。
時ならぬ事件に、居合わせた4人の冒険者が抗する。瞬く間にゴブリン達を打ち倒した4人は、一躍サンドポイントの英雄となる。
この4人は続く怪事件にも関わる。
街の四貴族の一つ、カイジツ家の放蕩息子ツトが帰郷し、街の皆から愛されるカイジツ家出奔の元冒険者、アメイコを誘拐した。
結局アメイコはカイジツ家所有のガラス工場から発見され、当主ロンジクは無惨に殺されていた。
ツトは逃げたが、ゴブリン襲撃はツトと「天使の娘」ヌアリアによって手引きされたこと、その目的がヌアリアの義父トビンの遺体の盗掘にあったことが分かる。
アメイコは弟ツトとの決別を決意する

ダブルクロス再考

もう何度も書いています。

 ダブルクロス2ndは基本ルールしか持っていないのででかいことは言えないのですが、幾つかの奇妙な点がある説明によって簡単に説明されるようです。で、そのある説明はサプリで既になされているらしいです。

  • シンドローム発症はレネゲイドウイルスと何の関連性も持たない

    ウイルスとは細胞に寄生する謎の活動体です。なので、無生物には感染しません(医学的定義)
    超常現象の発生とウイルスの存在が正比例の関係で見られるなら、その現象に相関性があるとしか言えないことになります。

    極めて近い状態になる説明として、そのウイルスの内部に存在する何らかの要素が超常現象発生の引き金になっているか、超常現象が発生する何かの媒体を餌として存在密度が高まる何らかの存在がレネゲイトウイルスだということになります。

    侵食率という言葉もまたウイルスに引きずられたものですので、精神の異常値とした方が説明しかもしれません。精神が異常状態にある時は意志と密接な関連性を持つであろう超常能力の効用が高まると考えておけばいいのではないかと思います。同時に、超常現象の関連する事態に遭遇した、超常現象賦活化能力を持つ存在は、精神の緊張と異常を強いられると考えれば分かり易いのではないかと。

  • あざとい

    万人受けは記号化されたお楽しみのパックにより行われる。
    ために時にあざとさが見え隠れする。

    この前「TRPGってどんなゲーム?」と知人に聞かれたので、「よくしらんけど萌えキャラになりきってする戦闘ゲームみたいなものらしい」と答えておきました。シウマイ。

    違い

     セッションを成功させることとミッションを成功させることは別だ。
     セッションを成功することをプレイヤーの皆で努力させなければならない、というのは奇麗事だ。
     セッションが成功か失敗かは、その人それぞれによって違う。
     セッションの成功についてぶれを見せつつも共通解を持っている人物でないと、一緒にセッションを楽しむのは難しい。
     もちろん、それぞれのプレイスタイルを内包するだけの多様性がある、とお題目を並び立てるのは簡単だろう。そしてそれは同人レベルでは有効だ。これは15年以上前に通用したスタイルだ。
     作品数と質とカリスマ性で業界を席巻した諸所の人々は、この矛盾をばっさりと切り捨てた。共通解を用意することなど不可能だということを理解して、それを絞りにかかった。これはある意味正解だ。商品展開として、彼らは実に正しいことをした。
     これは誰かが言っているのか。誰か影響力のある人が言っているのだろうか。この辺りは無知にして知らない。
     この業界のデファクトスタンダードを知る手段を自ら放棄しているのだから、このあたりの問題については門外漢でいるしかない。*1

    *1:表紙が恥ずかしいから雑誌が買えない。これについても商法としては成功法則の一つであるのだから、別段いいんじゃないかとは思うけれど。つまり、切り捨てられたユーザーということ。

    ストーリーテリングとロールプレイに関する悩み

    自分の中でストーリーテリングゲームにいまいちついていけない理由が一つあり、その理由がこれまた笑える内容なので、書いておこう。誰かの参考にはなるかも。
    ストーリーテリングゲームはストーリーを作るゲームであり、そのためにキャラクターを動かす。目的のストーリーのためなら少々無茶な行動だってどんどんキャラクターにさせる。ロケ日数と予算と期日が決まってるから続き物の脚本書けと言われた作家のようにかなり強引気味に書く。なんのことは無い。スリリングなシーンとお涙頂戴の感動シーンさえ書いてりゃ、観衆はどんなストーリーだって喜ぶ。ストーリーのテンプレートからあまり外さなければ、大抵の無茶はお約束で許してくれる。まぁそんな感じでストーリーを作っていく。
    ロールプレイは、キャラクターにとって自然と思えることを演じる。設定とその場の状況から考えて適当と思われる行動を取る。ここがすれ違いの発生のしどころだ。
    ストーリー生成に必要な行動は、ロールプレイの障害となることが多い。もちろん、そこをこじつけてなんとかしてしまうのがうまい脚本家の仕事であり、うまい俳優の仕事ではある。ただし、やっぱりなんか釈然としないものが残ったりする。
    ロールプレイの時に注意が必要なのは、「自分のロールプレイ」をしていないか、ということだ。状況に照らし合わせて行動しようとする時、自分の取る行動パターンを踏襲していないだろうか? 例えば、女性不審の俺が見ず知らずの女性に街中で声をかけられた時の反応と、出会いがなくて出会いに飢えている、性格が優しく人のいいドラマの中の主人公と取る態度は違うのだ。そして、皆が求めているのは、間違いなく後者である。
    しかし、それで本当に楽しいのかは別の話。キャラクターとして味が出て、かつ周囲にも受け入れられる良いキャラクター像を瞬時に生み出すのは結構、骨だ。だから、受け入れられやすいステロタイプなキャラクター像をインプットしておくか、受け入れられやすい脚本像をインプットしておいて、それにあわせて行動を取るかどちらかが必要とされる。

    俺達は何がしたいんだろう。

     実に初歩的・基本的なところを言語化してみる。
     何をするためにゲームをしているのか? 勿論、楽しむためである。
     どのような行為が楽しいのか、という要素分析はとりあえずのところ置いておく。

    基本的なテーゼ

    1. 自分は人を楽しませるためにゲームしているのではなく、楽しむためにゲームしている。
    2. 楽しめるゲームは、周囲のプレイヤーの協力によって成り立つ
    3. 他の人にも同じ事が言える。

    簡単な話で、ゲームを楽しむためには、テーブル全員が楽しみ方の方向性を持っており、また他人の楽しみ方についても知っており、納得しており、かつそのために助け舟を出す必要があるということである。普通ゲームというわれるものはこのあたりの基本線がかっちりと定められているが、TRPGにおいてはそれがない。無論、ルールでそれが規定されているじゃないか、と言うのは愚の骨頂である。そこにはフールプルーフ機能が無いから。
    1番だけを信念に持っている人もいるのだ。なんか、虚空に向かって延延とキャラクター自慢している人とかね。*1
    ところで、プレイヤーの協力を得るには、その人が人間として接し易い人であることが必要だ。普段はムッツリと黙り込んでいて、セッションに入ると裏声で早口で話し始めるむくつけき男とかには、なかなか協力し辛いし、そこで協力を拒まれたり、あまつさえ嫌なやり方で要求されたりすると、ごめんなさいと言って帰りそうになる。頼むからwebにこもってて、あなた達*2
    実際問題として、人間として魅力のある人と一緒じゃないと、TRPGは遊べない(遊びたくない)ということだ。当たり前のことなんだが、なんでいちいち言わなきゃならないかというと、魅力のある人間が極端に少ないから。

    *1:実際する。何十人もコンベンション会場で見て来た。こんなとこ来てないで病院行った方がいいと思うんだがどうか。現実うろついてないで、はやくウェブに帰りなよ。

    *2:俺もこんな風に思われてんだろうなぁ…